☆2010年3月7日(日) cogito, ergo sum (我思う故に我あり)

Posted: 2010年3月7日 カテゴリー: 自由だぁ!!

 

・・・・

 

「最近、思うこと・・・」

 

・・・もうだいぶ前の話になるんですが、

会社で行った「とある研修」において

「EQ」なるものに関するカリキュラムが

組まれておりました。

 

そこでは、EQジャパンの高山社長

直々による最高の講義を受けることができました。

 >http://www.eqj.co.jp/

 

この場で、講義の詳細な内容について

 触れることは致しませんが、

 実に楽しく、有意義な研修であったとだけ、

 明言しておきたいと思います。

 

皆さんも知能指数の「IQ」

 は知っていても、「EQ」が何たるかを

 知っているという人は、多分、

 まだ少ないのではないかと思います。

 

「EQ」とは、Emotional intelligence Quotientを

 略したもので、以下の5つの能力を検査し、

 数値化して判定するというものです。

 

1.自分の感情・状態を正確に把握する自己認知能力

2.自分の感情を適切な状態にコントロールする能力

3.挫折してもプラス思考で自分を奮い立たせて目的を達成させる能力

4.他人の気持の変化を敏感に受け止め、それを理解する共感能力

5.集団社会の中で調和を保ち、人間関係をうまく処理する能力

 

IQと違って、「EQ」は後天的な要素が強く、

 自己を分析し、努力する事によって

 より良い方向に改善できるという点も

 人気の秘密なのでしょう。

 

ちなみに国会議員さんとかは、

 「EQ」がオール5とかいう結果になることが

  多いようですね。

 

ここで間違ってはいけないのが、

 別に数値が高いから良いと言う訳ではなく、

 研究職や間違えてはいけないような

 精度を要する業務などは、数値が低い方が

 良い場合があるそうです。

 

車に例えると、馬力があって注目される

 スーパーカーと燃費の良い実用車や

 維持費の掛からない軽自動などの関係に

 似ているのかもしれません。

 馬力がある分、出費や大事故などの

 負の要因、危険性がつきまといます。

 

 ・・・要は適材適所という事ですね。

 

我社でも採用したように、近年では、

 この「EQ」が、社員育成などの分野で

 とても注目されているとの事でした。

 

仕事に限らずプライベートにおける

 実生活においても普通に活用できるという点も

 大きな魅力を感じる部分でもあります。

 

偏差値教育、学歴社会という流れで構築された

 今の混沌とした世の中、皆が行き詰まり、

 複雑化するこの現代社会においてこそ、

 必要とされるような能力開発のカギとなるのが

 この「EQ」であると言えるのではないかと

 そんな風に思います。

 

マザコン、モラルの低下、他力本願、

 モンスターペアレンツ、援助交際、

 無関心、心の病、いじめ、自殺、凶悪犯罪・・・

 

このような悲しい社会現象が起こるのは、

 IQで必要とされる能力だけを身につけ、

 EQで必要とされる能力を自分から完全に

 切り離してしまった人たちに顕著に見られると

 ある調査結果に記されておりました。

 

  ここで、「EQ」に興味を持たれた方に・・・

簡単な自己チェックを紹介致します。

 >URL: http://ww2.wt.tiki.ne.jp/~jirou_kasa/sindan/EQtest.html

      http://www4.ocn.ne.jp/~miwa88/eq/eqtest.htm#sr3

 

さあ、気になる貴方の「EQ」の結果は、

 如何だったでしょうか?

 

ちょっと余談ではありますが、

 今まで標準的指標とされていた「IQ」とは、

 知能指数(Intelligence Quotient)のことで、

 知能検査によって測定された精神年齢を

 生活年齢(実年齢)で割って

 100倍した数値で示されるものです。

 

ごく標準的な知能を100とし、

 それより多いか少ないかで優劣を判定する

 というものであります。

 

しかし、この方法では年齢より

 マセていれば数値が高くなり、

 年齢の割には幼稚、という事になると

 当然その数値は低くなります。

 

・・つまり「IQ」による優劣の判断は、

 ほんの一部分に特化した指標に過ぎず、

 多種多様な人間性とその能力を

 総合的に判断するには不十分であり

 適さないと言えるでしょう。

 

そもそも、これは知的ハンディキャップを

 背負った子供を識別するための指数であり、

 当初は差別用語であったと聞いております。

 

ところが、時代の流れに乗って、

 今では偏差値決定の標準的な指標と

 なってしまいました。

 

昔は「IQが高い」=「賢い」という

 認識をされていましたが、

 今では、一概にそうとは言えないということで

 評価そのものが変わってきております。

 

それでは、なぜ「IQが高い」は「賢い」を

 意味しないのか?

 

 その理由を以下に記します。

 

<WEB記事より抜粋>

 イェール大学の行動経済学者Shane Frederick氏が

 行った調査によれば、全米トップクラスの大学生

 3400人に以下の問題を出してみたところ、

 3問全て正解できたのはわずか17%、

 3分の1に至っては全滅という結果が出たそうです。

 

Q1: バットとボールは合わせて1ドル10セントである。
    バットはボールよりも1ドル高い。
    では、ボールはいくら?

Q2: 5つの部品を作るのに5台の機械で5分かかる。

   では、100台の機械で100個の部品を作るには何分かかる?

 

Q3: ある湖に蓮が浮かんでいる。毎日蓮は2倍に増える。

   湖全体を蓮が覆い尽くすまでに48日間かかった。

   では、蓮が湖の半分を覆うのには何日かかる?

 

「IQが高い」=「社会で成功」が成り立たない・・・

 その理由が、ここに隠されております。

 

例えペーパーテストの点数が良くても、

 行動力、物事をやり遂げる実力が無い。

 

集団社会生活において周りと協調できない。

 

実生活においての判断力や、主体性がない。

 リーダーシップを取れないなどなど・・・

 

 ・・・そもそも、1人の人間としてどうか?

 

「IQが高い」=「人間性が素晴らしい」とは、

 必ずしもならないということです。

 

もちろん、両方兼ね備えているという人も

 中にはいるのでしょうが、

 これからの社会では、旧態化した「IQ神話」は

 もう通用しないと言えるのではないでしょうか。

 

さて、「前置き」が妙に長くなってしまいましたが、

 結局、何が言いたかったかというと、

 実は全然違う話だったりします。

 

物語のストーリーにあてはめて言うと

 大ドンデン返しみたいな感じでしょうか?

 (いや、脈絡が無いと言われそう・・・汗)

 

実は、たまたま「EQ」について調べていて、

 その過程で、先に紹介した例題を見つけました。

 

この例題のQ3にある「湖に浮かぶ蓮の葉」の

 問いで、昔読んだ「コミックの話」を思い出しました。

 (妹が読んでいたものをちょっと拝借してました)

 

私の好きな漫画の1つとして、篠原烏童さんが書いた

 「純白の血」という作品があります。

 

    

 

心優しきバンパイヤーと人間との愛を

 生命の根源や地球環境という壮大な背景のなかで

 美しくも儚いストーリーで綴った素晴らしい作品です。

 

この私がハートを揺さぶられた作品で、

 皆様に是非ともお勧めしたい名作でもあります。

 

この最終刊において、人間による自然破壊の深刻さを

 湖に浮かぶ蓮の葉に例えている場面があります。

 

・・・・

 それは、ある湖でのお話。

 

湖の中では沢山の生き物たちが

    平和に暮らしておりました。

 

湖面には蓮の葉が浮かんでおり、

 毎日、1枚2枚と倍々に増えていきます。

 

このままいくと30日で全ての湖面を

  埋め尽くしてしまう時が来るのですが、

  そうなると水中の生き物たちは窒息して死滅してしまいます。

 

漫画の中で、こう問いかけます・・・

 「湖面の半分が蓮の葉に埋まるのは何日か?」

 

 ・・・さて、皆さんは何日だと思います?

 

・・・・

 

    ・・・そうです。

 

 その答えは29日です。

 

湖の中の生物達は、

  このとき「大丈夫、まだ半分ある」と思うのです。

 

 しかし、明日には皆死んでしまう・・・

 

「まだ、半分ある・・・」

 

・・・ここでいう湖が、

  私達が暮らしている地球だとしたら・・・

 

もっと身の回り、

 そして世界中で起きている現実を良く見てください、

    耳を澄ましてください・・・

 

絶滅に瀕している白クマさんもしかり、

   知らない、知ろうとはしないだけで、

 

身の回りや地球の至る所でその兆候、

  動物達や地球の悲鳴が聞こえているはずです。

 

それぞれ、みんなもっと真剣に考えて、

 各々やるべき事、何か出来ることがあるのではないかと、

   そんな風に思うところであります。

 

      ・・・・cogito, ergo sum  (我思う故に我あり)

 

 

>Write. 2010.03.07

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